夜空にYOUKISS!

ご存知有紀ちゃんのレギュラーのラジオ番組です。1994年から始まったこの番組、ついに2001年春で終わることになってしまいました。そういう訳で、その番組が終わってしまうことを惜しみつつ、ここに文章と言う形でまとめてみたいと思います。

まずmasaとこの番組の出会いについて書くことにしましょう。この番組は94年の4月に始まったのですが、masaがこの番組を知ったのは、確か夏になろうとした頃だと思います。ちょうど「17歳」が放送されていた頃で、徐々に有紀ちゃんのファンになりつつあった頃のことだったと記憶しています。それまでmasaは、テレビ番組は見るもののラジオ番組にはほとんど興味がない状態でした。が、ある日偶然ラジオ番組表を見ていたところ、「内田有紀」と言う名前のついた番組があったのです。番組表には、「内田有紀夜空に」しか書かれていなかったのでどういう番組なのかが全く分からない状態だったのですが、とにかく有紀ちゃんの番組であることには変わりないわけで、いつかこの番組を聞いてみたいと思っていました。そうするうちにmasaも自分専用の携帯ラジオを手に入れることが出来ました。これでようやくあの番組を聞くことが出来る、というわけでその番組の放送日を楽しみにしていました。

この番組はニッポン放送で日曜深夜に放送されていたのですが、福岡では6日遅れの土曜日に放送されていました。確か土曜日の午後11時からの放送だったと記憶しています。当時、masaは中学生で午後10時ぐらいに寝る生活をしていたので実は11時まで起きていることは結構大変でした。が、そこは有紀ちゃんの声が聞きたい一心が勝ったのでしょう、布団の中で興奮しながらその時間を待っていた記憶があります。1時間前ぐらいからラジオを聞いていました。しかし目的のラジオ番組の前の番組は、全く記憶に残っていません。何せ目的の番組まで起きていることが目的でしたから・・・。そしてついにその時はやってきたのです。その時初めてこの番組の正式名称が「夜空にYOUKISS」であることを知りました。それからの30分は、ただただ感動するばかりでした。とにかく1度聞いた瞬間に「これからは毎週この番組を聞くことにしよう」と心に堅く誓ったぐらいでしたから。

それから、masaの生活は少しだけ前と変わりました。なぜなら毎週土曜日になれば有紀ちゃんの番組が聞けるのだから、例えどんなことがあっても土曜日のあの番組を聞くために耐えられると思ったのです。今考えてみれば、あの番組を聞くことが無かったらmasaが今こうして有紀ちゃんの熱狂的なファンになっていなかったとも言えるでしょう。とにかく毎週土曜日の夜11時が楽しみでたまらないと言う状態でした。masaにとってあの番組は生活の活力になりつつあったのです。

この番組にはレギュラーコーナーと言うのは無かった記憶があります。少なくともmasaが聞いていた時は、ハガキを読むことぐらいしか決まってなかったと言う感じでした。しかしそれでも楽しかったことは事実です。ちなみに時々ハガキを送ってくれたリスナーに電話をかけたりすることもありました。masaもハガキを出して電話がかかってくると嬉しいなぁと思っていましたが、今までハガキを出したことはありませんでした。

しかし、そんなmasaの希望を打ち砕くような出来事が起こりました。番組を聞き始めて半年ほどが経った頃のことだったと思います。masaも高校生になっていました。有紀ちゃんの新曲がラジオでも紹介されていた頃だったと思います。いつものように番組も終わろうとした時のことでした。突如「今までお楽しみいただきましたこの番組、今週で終了とさせていただきます」と言うお知らせが入ったのです。ほんの30秒前に有紀ちゃんが「また来週」と言ってくれていたのに・・・。その日はなぜか寝付けませんでした。せっかく毎週聞ける番組、しかも大好きな有紀ちゃんの声が聞ける番組だったのに、それが聞けなくなってしまうのです。しかも番組が終わるわけではなく、福岡での放送が終わってしまうということにショックを受けました。

それからしばらくは、毎週何を楽しみにして生活をしていこうかと言う状態でした。今まで心の支えとしていたものがなくなったような感じでした。しかし、番組自体が終わったわけではなかったので、いつかまた福岡でも放送が再開されると思って楽しみにしていました。

そうしているうちに一冊の本が出版されることになりました。この番組の本だったのです。masaがこの番組を聞けなくなってから既に半年以上経っていました。さすがにこの頃になると福岡で聞けないことのショックからも立ち直りつつありました。もちろんmasaはこの本をすぐに本屋で手に入れました。一つ自慢するとすれば、masaが持っているこの番組の本は初版第一刷だということですかね。しかも少し前まではこの本を2冊も持っていました。なぜならmasaが自分で買った直後に、masa父も同じ本を買っていてくれたからです。そういう訳で一時期は2冊も持っている状態でした。この本を手に入れたのが96年の1月のことでした。

それからしばらくこのラジオ番組が聞けないことが全く気にならないような生活を送っていました。が、またこのラジオを聞きたくなるような事態が発生したのです。それはmasaが楽園に行くようになってからのことでした。masa自身、既にこのラジオ番組が終わってしまったと思っていたのですが、実はまだこの番組が続いていたらしいのです。番組自体が完全に終わってしまっていたのならば、絶対に番組を聞くことが出来ないわけだから、諦めることもできたのでしょうが、自分が聞けない間にも番組が続いていたことを知り、久しぶりにラジオを聞きたくなったのです。

そういう思いが徐々に募り、自分の家からニッポン放送が聞けるかどうかを試してみたくなりました。masaの部屋にはテレビやパソコンなどがあり、電波がうまく拾えない状態だったので外に出て試すことになりました。そうすると・・・、なんと微弱ながらも電波が拾えたのです。福岡でも場所によってうまくいけばこの番組を聞くことができると言うことが分かり非常に満足していました。が、日曜日の深夜1時からの放送だったので月曜日の朝に起きれない可能性もあり、なかなか聞くことが出来なかったのです。

が、ついにその時は来てしまいました・・・。全ての物事にははじめと終わりがあると言われていますが、自分が楽しみにしている番組が終わる時ほど悲しいものはありません。しかもこの番組はmasaが有紀ちゃんのファンになるのに大いに貢献してくれた番組でもあったわけで、特に感慨もあるわけです。本当に終わってしまうことが悲しい限りです。masa自身は、いつの日かまた全国ネットになって福岡でも雑音に悩まされること無く聞くことが出来ることを夢見ていたので非常にショックでした。本当に終わってしまうのが惜しい限りです。

ただ、この番組が終わることが惜しいと言ってばかりもいられないと思います。確かにこの番組は3月25日で終了を迎えましたが、有紀ちゃん自身は終了ではなく、あくまでも「卒業」と言っているわけで、その意味ではリスナーの一人としてこの卒業を祝おうかとも思っています。確かに卒業と言うのは何かの終わりですが、同時に新しい何かの始まりでもあるわけです。そういうわけでmasa自身としては、終わってしまうことをただ残念がるだけではなく、これが新たな何かの始まりであると思いたいのです。だからこの「卒業」を祝いたいと言っているのです。

と言うわけで、masaのこの番組に対する思いを綴ってみました。返す返すも終わってしまうことが残念ですが、また何かレギュラー番組が始まってくれることを願って文章を終わることにします。ちなみに番組に送ったメールの全文はこちら

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